AIは強力な「外部脳」ですが、それを動かす「メインCPU(自分の脳)」がスペックダウンしてしまっては本末転倒です。
「AIを使って10倍の速さでアウトプットを出しつつ、そのプロセスで自分の脳もしっかり汗をかいている」
そんな状態を目指すのが、最も賢いAIと脳のハイブリッドの形かもしれません。
クリトロ博士は、ケンブリッジ大学でサイナプス可塑性(学習や経験によって脳のつながりが変わる性質)を研究。脳が世界をどう知覚し、現実感をどう組み立て、意思決定にどう影響するのか。そのあたりが主な関心領域。
「博士はChatGPTのようなAIを使いますか。脳への影響はどう見ているか」
「今の技術環境では、使わずにいる方が難しい」と博士は率直です。たとえばスマートフォンがグループチャットを要約してくれる。子どもの保護者グループの会話を追うだけでも、AIが生活に入り込んでいる実感があると言います。
MITの研究が示した“短期の差”と、言い切れないこと
研究では54人を三つのグループに分けました。
- AIを使って課題(エッセイのような設問)に答えるグループ
- 検索エンジンを使うグループ
- 自分の頭だけで答えるグループ

このとき脳の電気活動を測ると、「自分の頭だけで答えた人たち」の活動が大きかった。外部の情報源に頼れないぶん、自分の記憶を引き出し、手持ちの知識を組み直しながら答える必要があったからだ、と博士は解釈。
さらにこの課題を複数回行うと、「頭だけ」グループは回を追うごとに上達し、三回目にはかなり良くなっていった。一方で、検索グループよりも、AIグループの方が脳の関与が小さかった、というのが紹介されたポイントです。
研究の終盤には、より少人数(18人、各群6人)の最終テストもあったそうです。ここでは、最初の三回をAIでこなしてきたグループが、次の課題でAIを使わずに取り組むと、同じく最初から「頭だけ」で鍛えてきたグループほどにはうまくいかなかった。博士はこれを「慣れ(familiarization)」の問題として説明します。やり方に慣れた分だけ成績が上がるのは自然で、AIに寄せてきた人が“自力モード”に切り替えると不利になりやすい、という結果。
しかし、長期的な影響については「結果が出るのは10年、20年後かもしれない」と言います。子ども世代が当たり前にこれらのツールを使って育ったとき、何が変わるのか。そこは、まさにこれから見えてくる領域です。
脳はどう現実をつくるのか
ここで博士は、人間の脳の基本構造に話を戻します。脳にはおよそ860億の神経細胞があり、各細胞は多数の細胞とつながって巨大な回路網をつくっている。学習や環境の経験によって、そのつながりは変わる。新しい記憶ができ、新しい経路が形づくられ、思考や感情、行動やコミュニケーションが生まれる――という説明です。
電気信号は、細胞膜をまたぐイオンの動きによって生まれ、次の神経細胞へ伝わっていく。親から受け継いだ遺伝子が“土台”をつくる一方で、人生を通じて学ぶことで回路は更新され続ける。子どもの脳では新しい結合が盛んに生まれ、年齢を重ねても変化と学習は続く、と博士は語ります。
個の知性から、集合の知性へ――「超脳」という見方
博士は、人類が「個として考える」だけでなく、「集合として知を束ねる」方向へ進んでいる、という研究者たちの議論も紹介します。遺伝子よりも環境、文化、技術が個人の発達に与える影響が大きくなっている、という見方がある。人類は昔から、他者と交流し、知識や視点を交換することで生き延びてきた。移動手段の発達、通信技術、インターネット、Zoomのような仕組みは、その流れの延長にある――という位置づけです。
人のアイデアが“心から心へ”移り、集団として問題解決や発明を加速させる。博士はそれを、アリやハチのコロニーのような「群れとしての知性」にたとえます。
そこにAIが加わると何が起きるのか――光と影
AIは、人間の神経回路の理解から着想を得て発展してきた道具でもあります。博士は、膨大なデータから要点を抽出し、つながり(シノプシス)を見つけ、新しい発見を助ける“追加のレイヤー”としてAIを評価します。人類が積み重ねてきた「道具の系譜」の中に、AIも並ぶという捉え方です。
影もある。博士が挙げた例が、2024年にデラウェア大学の研究者らが発表した研究です。研究では、ニューヨーク・タイムズとロイターを比較的バイアスが少ない媒体として扱い、そこで出た見出しからChatGPTに記事を生成させた。さらに言語学者や記者が分析すると、従来のニュースよりも、人種差別や性差別に相当する表現が多く出る傾向が見られ、性差別の方がやや多かった、と博士は説明します。
博士の解釈は明確です。AIが突然“悪意”を持つというより、ウェブ上の膨大なデータを鏡のように反射してしまう。つまり、社会が抱える歪みが、生成物に滲む可能性がある。その点を直視する必要がある、という話でした。
「頼りすぎ」はどう考えるべきか
AIに頼りすぎることへの不安について、博士は古い例えを持ち出します。古代ギリシャの時代、書き言葉が広まり始めたとき、「議論する力や話す力が衰える」という懸念があった。実際、何かは変わった。しかし書き言葉の普及は、総じて恩恵も大きかった――博士はそう見ています。
同じように、AIも使い方次第です。知性を丸ごと外注して“考えなくなる”のではなく、自分の認知の筋力を使いながら、道具として取り込む。教育や仕事の設計も、それに合わせて更新していく。博士は、数学のテストに電卓が組み込まれてきた歴史を引き合いに出し、LLMは人文や創作でも似た役割を担い得る、と述べます。
AGIへの見方と、求められる枠組み
AGI(汎用人工知能)について問われると、博士は、研究者の中には利用の一時停止を訴える声があり、使い方を誤れば破局的な結果もあり得る、という議論があると紹介します。その上で、国ごとではなく、国際的な規制や合意の枠組みが必要だ、と提案します。人類の将来を中心に据え、慎重に運用するための共通ルールが役に立つ、という考え方です。
仕事でAIを使う人に伝えたい「やること/やらないこと」
日本のビジネスパーソンに向けて、博士は実務的な話に落とします。
AIは便利な道具ですが、新しい道具でもあります。返ってきた答えをそのまま信じない。根拠や論理の飛躍を疑い、誤りや偏りを点検する。AIの出力はウェブ情報の反映でもある以上、人間社会のバイアスや雑音を含み得る。だからこそ、最後の判断や洞察は、むしろ個人の頭の中から出てくるものの方が深い場合がある――博士はそう言います。
博士自身も、専門分野についてAIに尋ねると「よくできている部分」と同時に「かなりの誤り」も見つかると話します。要約は得意でも、点検と批評が要る。ここが肝です。
人間の知性を守る――“脳の取り扱い説明”は案外シンプルです
最後に話題は、脳をどう守り、どう育てるか。博士は、人間の脳が膨大な情報を処理し、現実感を更新し続ける計算力を持っていることを強調します。その性能を保つために、特別な秘訣よりも、基本の積み重ねが効くと言います。
- 運動:脳にも良い。学習・記憶・想像に関わる海馬で新しい脳細胞が生まれやすくなり、気分にも作用する。
- エネルギー産生(ミトコンドリア)への良い循環:運動するとエネルギー需要が増え、燃料を生む仕組みが回りやすくなる、という説明でした。
- 社会的な交流:新しい学びを既存の回路に統合し、習慣の形成にも関わる。
- 睡眠:学んだことの定着や、日中の高い活動で生じたものの“掃除”に役立つ。
- 食事:加工食品や糖分・脂肪分が多い食事は海馬の容量に影響し得る一方、良質なたんぱく質や健康的な脂質(ナッツや魚など)を含む食事は、神経の働きを支える助けになる、という話でした。
AIの話をしていると、つい技術の方ばかりに意識が向きます。けれど私たちの側にも、想像力や創造性、他者とつながって知を共有する力がある。新しい道具が増えたからこそ、土台である脳のコンディションを軽視しない――博士のメッセージは、その一点に収束。




