ミスター長嶋茂雄プロ入り前

ブログ

長嶋茂雄さん。正直、現役時代をリアルタイムでは知らない。
でも、成績を見れば一流、プレーを見れば天才、言葉を聞けば天然。
すべてが規格外で、だからこそ「記録より記憶に残る男」として今も語り継がれている。
徒然にChatGPTに聞いてみたら、プロ入り前からすでに魅力だらけだったようだ。

高校時代。
長嶋さんは、頭が良かった。
進学していた佐倉第一高等学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)は、当時から千葉県内有数の進学校で、入学自体がハイレベル。
野球部ではエースで4番という立場でありながら、学業成績も優秀だったと複数の証言がある。
特に英語が得意で、後年の米国留学(サンフランシスコ・ジャイアンツ短期留学)でも現地選手と簡単な会話ができたという。
学業と部活動の両立を重視する校風があり、高卒でプロ入りせず立教大学に進学した背景には、家庭の教育方針だけでなく、佐倉高校の進学志向の強さも影響していたようだ。

甲子園には一度も出場していない。地方大会で敗れたものの、飛距離と守備の柔らかさはすでに群を抜いていたという。甲子園に出ていない分、全国的にはあまり知られていなかったが、注目されたのは大学時代。

「野球より大学」──母の教え
「プロ野球などもってのほか」「学歴こそが一生の財産」。プロ入りも可能だったが、母・滋子さんの「大学だけは出なさい」という強い教育方針に従い、立教大学に進学。プロ野球は「職業野球」と呼ばれ、庶民的・労働者的なイメージがあり、知識層や一部の家庭では“格が下”と見なされていた
ちなみに、美術やクラシック音楽にも関心があり、芸術家肌の一面も持ち合わせていたという。いわゆる“長嶋語”はユニークで誤解されがちだが、実は言語感覚に富み、表現力が豊かだった証かもしれない。

六大学のスーパースターへ
東京六大学野球での成績は圧巻。
通算打率.377、安打数127本。首位打者3回、ベストナイン4回。
大学野球界の主役で「長嶋が出ると球場の空気が変わる」と言われ、新聞・ラジオ・週刊誌でも連日話題。
──この時点で、もう“ただの学生野球選手”ではなかったようです。

岡山のホームページ作成