久米宏は「cute」。

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彼を「cute」と感じていた人は、実は少なくなかったのではないでしょうか。

久米宏を語るとき、日本語では「知的」「鋭い」「かっこいい」といった形容がまず挙がります。いずれも正確な評価です。ただ、長年彼を見続けてきた視聴者の感覚には、もう少し柔らかく、それでいて本質を突いた言葉があったように思われます。
cute

ここで言う cute は、幼さや甘さを意味するものではありません。機知があり、愛嬌があり、少しだけ茶目っ気がある。それでいて、どこか憎めない——そんな「大人の可愛げ」を含んだ言葉です。久米宏は、まさにその条件を自然に満たしていました。

彼はニュース番組の司会者でありながら、権力に過剰に身構えることもなければ、視聴者に迎合することもありませんでした。断言しすぎず、問いを残す。正解を示すよりも、考える余白を手渡す。その姿勢には、一貫した知性と誠実さが感じられます。

同時に、その語り口には人間味がありました。笑う間合い、言葉を選ぶ沈黙、あえて結論を固定しない締め方。そして年齢を重ねても失われなかった、好奇心を宿した眼差し。こうした細部の積み重ねが、彼を「怖い人」ではなく、「つい見続けてしまう人」にしていたのでしょう。

鋭さだけを備えた人は、ときに冷たく映ります。優しさだけの人は、印象に残りにくいものです。久米宏は、その両方を絶妙なバランスで保っていました。だからこそ視聴者は、緊張感を覚えながらも、どこか親しみを感じていたのだと思われます。この独特の距離感こそが、cute の正体です。

断言と煽動が溢れる現代のメディアにおいて、視聴者を最後まで「考える側」に置き続ける姿勢は、決して容易なものではありません。それでも彼は、その立ち位置を崩しませんでした。そこには勇気があり、同時に大人の余裕がありました。

人は、完璧すぎる存在には近づきにくいものです。少しの隙や遊び心があるからこそ、心の距離は縮まります。久米宏が長く愛された理由は、まさにそこにあったのでしょう。
“He is cute.”

彼のような大人は、本当にカッコよかった。

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